2014年11月11日火曜日

西表島~愛する我が子へ

西表島~こんばんは。
「愛する我が子へ~」
私の父親は貧しい時代に生まれて10代の頃から生まれ故郷を離れ家族の為に、黒部ダム建設に出稼ぎに行き、故郷の家族に仕送りをずっとしていたような生き方をした人間でした。
そんな苦労人のせいか私にも子供の頃からとても厳しく、私も小学生の頃から新聞配達などもしておりました。真冬には雪が降りしきり寒い中を配っていた記憶があります。
私が18歳になり家を出て外で暮らしたいと母に告げると、ある日、父親にこう告げられました。「お前はもう立派な男だから家を出ていきなさい!そして何があっても二度と帰ることは許さない!」
家を出る際に、母親が私に茶封筒を渡してくれ中には三千円しか入っていませんでした。父が厳しかったのでまとまったお金を取ってこれなかったのだと思います。
その言葉の通り、私はそれ以来、家に戻ることも連絡を取ることもしていません。人それぞれ思想、考え方の違いがあり、さまざまな意見があると思いますが、当時は、まったく理解できず、「なにを言っとんじゃ!早くくたばれ!クソ親父!」とずっと心の中で思っておりました。自分が年齢を重ね、さまざまな土地でさまざまな生き方をし、いろいろな経験を経て、そして自分の我が子を授かったとき、少し父のことが理解できるようになりました。今ではとても感謝致しております。
父はよく私に怒るときに「自分のすべての行動にはすべての責任が問われるんだぞ!人はよく正しい道を踏み外しやすい、いつも自分で何が正しいかをよく考えて自分の行動や信じる道を進まないといけない。」
「今でも私の心に深く刻まれています。」
毎日、我が子、健臣を抱きミルクをあげるときに父のことを思い出します。俺もこの子のように父に抱かれていたんだろうな~
そして我が子に想う気持ちは「人生は短い!男なら誰よりも強く!熱く!正しく!自分の信じる道を生きろ!」
                     愛する我が子へ 父より

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